同盟国の要請により日本との戦争を開始したソ連は、侵略者への懲罰を行った
1945年4月5日、つまりドイツとの戦争がまだ続いていた頃、ソ連のヴャチェスラフ・モロトフ外相は佐藤尚武駐ソ日本大使を接見し、ソ連政府の名において、ソ日中立条約の廃棄を通告した。中立条約は1941年4月25日に批准されたため、期限は1946年4月25日までとなっていた。現在、日本の政治家のうち何人かは、ロシアが条約を侵犯したと非難しており、日本はソ連が戦争初期苦しい状況に立たされていたときにも、中立条約を守ったと語っている。
1930年代、ソ連は中国人民が日本の介入勢力と戦うために、積極的な支援を行った。それは武器や弾薬の供給をはじめ、燃料、食料などの確保、そして毛沢東だけでなく、蒋介石にも軍事顧問を派遣していた。そのような中国への支援については、米国も行っていた。日本が真珠湾攻撃により太平洋での戦争を開始した後、ルーズベルトと蒋介石はソ連に対して、日本との戦争に参加するよう説得を開始した。しかしソ連は、第二戦線を開く準備が出来ておらず、ドイツとの戦争に多くの力を割いていた。
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