すでに先進国の大多数では死刑は存在しておらず、日本と米国だけが例外となっている。ロシアの東洋大学で教鞭をとり、日本研究センターの所長でもあるアナトリー・コシキン教授は、そのような状況が日本人の精神文化に由来するものだと指摘している。
―日本やいくつかの民族の伝統では、いまだにヴェンデッタ、つまり血の復讐という考えが残っています。日本人にとって、他人を意識的に殺した者が、最も厳しい刑罰を受けるというのは自然なことなのです。死刑については、最終的に執行の判断をする法務大臣が誰なのかによっても左右されます。2010年から最近の交代までの間、死刑はひとつも執行されませんでした。しかし新しい小川法相は、この問題においてはっきりとした態度をもって臨んでいます。死刑の執行後、小川法相は、大臣として日本の世論を無視することはできないという趣旨のことを述べています。
一方の欧州連合は、死刑は道徳的に正当化できない、野蛮なものであると考えている。欧州連合は日本政府に対して、死刑の廃止に向けたモラトリアムを導入するよう呼びかけていた。欧州では、人間の命が神聖なものであるという考えが用いられており、欧州研究センターのウラジスラフ・ベロフ所長は、キリスト教道徳そのもののなかに、死刑が存在できない理由があると指摘している。
―この道徳は、法廷も裁判官も、人の命を奪う権利は持っていないという考えに基づいたものです。それは神のみがもつ権利なのです。また冤罪の可能性も指摘されています。それがたとえ100分の一、100万分の一だとしても、無罪の人が殺されることになるのです。そしてその間違いを償うことは誰にもできません。多くの人はまた、死刑よりも終身刑のほうが、より苦痛の多い刑罰だと考えています。終身刑に処せられた者が死刑をせがむというような場合もあるのです。
ロシアでは1996年9月を最後に死刑は執行されていない。それはロシアの欧州評議会への加盟を背景に取られた措置だ。現在ロシアでは死刑へのモラトリアムがしかれている。しかしロシアでも死刑をめぐる議論は絶えない。
死刑は国家が続く限り、存在し続けるだろう。それぞれの国家は自分たちなりの判断をしているのだ。ただ、国家が何をしようとも、我々一人一人が自分の意見をもつということも事実だ。
日本の映画監督で作家、そして明治大学の教授でもある森達也氏は、「人を殺したくない」という思いから、死刑には反対の立場をとっている。
―いろいろな死刑囚と僕は面会しています。もちろん透明なアクリル板越しですけれども、深刻な話もしますし、たまには冗談も言ったり、笑ったり、泣いたり、被害者の話になれば、とても後悔したり、そういった会話をしながらふと思ったんですね、彼らはいずれ殺されるんだと。人間はみんないずれは死ぬ生き物ですが、彼らは寿命でもないし、病気でもないし、事故でもない、国によって殺されるということです。そしてその国というのは僕たち一人一人によって成り立っている。ということは、僕も彼らを殺すことに加担しているわけなのです。それはしたくない、彼らが死ぬことには反対したい。
なお、森達也氏のインタビュー全収録に関しては、4月8日(日曜日)「週間ラジオ展望」の時間でお届けする。